
【にちにちこれ、好日】
静かで穏やかな生活も、良いものと。
みなさんこんにちは。
いよいよ春本番。
桜も野花もそこかしこに満開で、
否が応でも心浮き立つ近頃です。
先日は春休みの長女と一緒に、
近所の川沿いをサイクリングしていました。
長女は今年サイズアップした24インチの自転車に、
どきどきしながら乗り進めます。
いつも家の窓から見える、
川向こうの大きな桜の木を間近で見つつ、
写真に収めていた時。
通りがかりのおじいさんに
「写真撮るよ!貸して貸して」
と言ってもらえたのでカメラを託すと、
縦横と向きを変え、手早い撮影。
颯爽とおじいさんが去りデータを確認したら、
なんと一枚も撮れていない......。
そんなミステリーもありつつ、
最寄りの観光地まで足を伸ばし、
春の息吹を2人水入らずで楽しめました。
走行中はかなり不安そうだった娘ですが、
弱音を吐かずに一生懸命付いてきていて、
きっと疲れただろうに。
次は◯◯まで行こう!
と嬉しそうに言っている姿が親バカですが可愛く、
輝いて見えました。
何事にも方途を尽くす人の美しさと感動を、
子どもたちから感じています。
もともと演繹(えんえき)的思考のクセがあって
行動には意味がないといけない。
0か1か、あるいは白か黒か。
で、考える事が多かったのですが、
子どもたちが成長する過程では
その考え方は苦しいものでした。
意味なんてわからないけれど、
とりあえず頑張ってみたら楽しいし嬉しかった。
この感覚はそばにいる子供たちのおかけで、
何年か越しにわかるようになってきました。
静かで穏やかな生活が怖かった昔。
自意識が強くて、人との交流や物の購買で
自己肯定感というアクセサリーをつけていた私。
最近は消費や交流を抑えて過ごしていて、
つまらないんじゃ?と取られるような毎日だけど、
私にとっては悪くないものになっています。
心はゆったりしてきたし、
そこへの焦りも感じなくなった。
誰かに見せるためではなく、
自分のためだけの喜びを留めることで、
幸せをこつこつと貯めていくような作業を
消極的ながら実践しています。
春風のような人柄でありたい。
鮮やかなこの季節に、
融けてしまいたいと思う近頃です。